療術の歴史
人間は誰しも健康でいたいという欲求があります。
このため、太古の昔からさまざまな健康法や治療法が試されてきました。
療術も、今日の西洋医学と同様、このような健康を求める人類の歴史から 発展してきました。
江戸時代は、中国から「漢方医学」や西洋から「蘭方医学」、日本独自の 「皇方医学」などがありましたが、その様な医療にかかれるのはごく一部の 人々でした。一般の庶民は、修験者が村などに下りてきて「加持祈祷」や 「護符」などの呪い(まじない)や経験的に使っていた薬草、動物の内臓や骨の煎じ薬 などに頼っていました。
明治に入ると西洋医学がいち早く制度化され、按摩マッサージや鍼灸なども
次々制度化されました。それでも、圧倒的に医療者の数は少なく、多くの人たちは療術に流れていきました。
明治末期から大正を経て昭和初期まで療術の全盛期きでした。 当時、療術は霊術とあいまって色々療法が出てきました。霊術は修験道の 「加持祈祷」などの流れを汲み「精神療法」として(説得術・暗示術・催眠術) など、今でいう「心理学」的な要素や(触手療法・気合術・方術・祈祷・呪符) など宗教的な療法(後にこれらの開祖は新興宗教を起こす)などです。
療術は手技療法(カイロ・オステオパシー・整体)物理療法(電気・光線・温熱・刺激)健康法(食養・ヨガ・体操)などが行われていました。
昭和22年GHQにより療術禁止令が発布され、(GHQは霊術の非科学的な部分が気にいらなかった)このとき、療術を守るべく全国療術師協会が発足し、霊術的なところは切り離しました。そして、現在療術4種目を研究、研鑽しています。